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なにわ男子が売れているのも滝沢秀明の戦略!?なにわ男子(関西ジャニーズJr.)が今まで以上に推されているのはなぜ?~ジャニーズJr.黄金期再構築中!?~

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2020年5月2日発売日経エンターテイメント!」の表紙をなにわ男子が飾ることが決定しました。

関西ジャニーズJr.が表紙に選ばれるのは1997年に創刊して初めてとのこと。

雑誌「Myojo」でも恋人にしたいJr.ランキングトップ10がほとんどなにわ男子。

やはり関西ジャニーズJr.の人気が高まってきたという印象を抱かざるを得ません。

 

しかし、CDデビューをめざすのはなにわ男子だけでなく、HiHiJetsや美 少年、TravisJapanなど東京のジャニーズJr.にもたくさん存在しています。

 

ここまで関西ジャニーズJr.のなにわ男子が推されているのは、滝沢秀明がなにかを企んでいるに違いありません。

 

slowly-slowly.hatenablog.com

 

 

滝沢秀明が関西組にも力を入れ始めた理由を調査してみます。

 

①ジャニーズJr.の競争心を高める

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ジャニーズJr.は仲間でありライバルです。

一緒に頑張っていこうという気持ちも大切ですが、誰よりも早くCDデビューするという気持ちがなければ仕事はもらえない厳しい世界です。

「取材が決まった」「テレビ番組の出演が決まった」という勝ち組状況でも、気が付けば仕事に呼ばれなくなった負け組になるということも多々あるようです。

グループに選ばれても、常に向上心を持っていなければファンはどこかへ行ってしまいます。

仕事もなくなります。

グループ同士が常に競争心をもってこそ、お互い高め合う存在となるのです。

 

滝沢秀明東京ジャニーズJr.だけの競争心では不十分と考えたようです。

全国のファンを夢中にさせてこそ、天下がとれると考えて関西ジャニーズJr.とも競わせたのかもしれません。

②ジャニーズJr.黄金期再び

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滝沢秀明がジャニーズJr.を牽引していた1998年頃。

ジャニーズJr.黄金期と呼ばれる時代に活躍していたジャニーズJr.は

と豪華メンバーでした。

もっと活躍していたジャニーズJr.はいますが、牽引してきたメンバーは今となっては関ジャニ∞など大人気グループとなりました。

ここで注目したいのが、関西組の存在です。

ジャニーズJr.黄金期にも関西ジャニーズJr.も入れて競争力を高めていました。

関西ジャニーズJr.の存在により、テレビ朝日放送「8時だJ」などの番組で盛り上がったり、ヤジが入り、ジャニーズJr.が盛り上がりました。

 

滝沢秀明は芸能界引退時に「もう一度ジャニーズJr.黄金期をつくりたい」といってプロデュース業に専念する為引退しました。

ジャニーズJr.黄金期には関西組の存在は必須であり、今の第二ジャニーズJr.黄金期を構築するためになにわ男子が選ばれたようです。

 

③第一次ジャニーズJr.黄金期をデビュー順に並べてみた

1998年のジャニーズJr.黄金期に活躍したジャニーズをデビュー順に並べてみます。

 

1999年 相葉雅紀二宮和也松本潤

2002年 タッキー&翼滝沢秀明今井翼

2003年 NEWS (山下智久錦戸亮→のちに脱退)

2004年 関ジャニ∞横山裕渋谷すばる(のちに脱退)、村上信五丸山隆平安田章大錦戸亮(のちに脱退))

 

ジャニーズJr.黄金期が一気にCDデビューしました。

5年の月日はかかりましたが、関西ジャニーズJr.として活躍していた関ジャニ∞もデビューできたのです。

全国でCDデビューするまえに「関西限定」としてCDデビューしたため、苦労は他のグループよりも味わってしまいました。

 

もしかすると、なにわ男子もデビューまでに大きな苦労を味わうかもしれません。

しかし、第二ジャニーズJr.の黄金期の波に乗れることが一番最短のデビューへの道かもしれません。

 

デビューできた次の目標は冠番組です。

いつかなにわ男子も全国放送で冠番組がもてるといいですね